【令和の断面】vol.196「大谷翔平の結婚をめぐる報道について」

令和の断面

 今では考えられないことだが、私がプロ野球選手だった80年代は、本屋で売っている各社の選手名鑑に、選手の自宅はもちろん、電話番号、奥さんの名前、血液型等、詳細な個人情報が記載されていた。

 だからファンレターのようなものも直接自宅に届けば、熱心なファンが自宅の前で待っていて、サインを求められたりした。
 今思えば、まったく呑気な時代で、いや平和な時代で、選手広報やファンへの対応は、選手個人に任されていたのだ。
 そして、それでも大きなトラブルが発生していなかったのは、選手とファンの間に暗黙のルールが存在していたからだろう。
 お互いにそれなりの節度をもって対応していたのだ。
 良い時代と言えば、そんな時代だったのだ。

 ドジャースの大谷翔平が、結婚を発表した。
 この報道をめぐって違和感を持った人もいたかも知れないが、奥さんに関しての情報はほとんど明かされなかった。もっといろいろ知りたがっているファンも多いだろう(マスコミはもっと知りたがっている)が、唯一報告されたのは「日本人」であるということだけだった。

 Q どこで出会ったのか?
 Qプロポーズの言葉は?
 Q子どもは何人くらい欲しい?

 そこはメディアも必死に食い下がったが、大谷の反応はつれなかった(笑)。

 「そこまで言う必要はないと思うので……」と、ほとんどの質問がスルー。

 せっかくのおめでたいニュースなのだから、もう少し教えてよ!(笑)。
 ファンもメディアもそう思ったが、大谷のガードは堅かった。

 あらゆる取材に丁寧に対応する大谷だが、この件に関しては一貫してプライバシーを守った。

 今までは、マスコミが主導してさまざまな質問に答えさせられていた選手たちだが、この大谷の対応が新しいスタンス(スタイル)を生み出すことになるだろう。

 つまり、答えたくない質問には答えない。

 大谷が見せた今回の対応は、大物選手ゆえのわがままではなく、メディアに対して自分自身をどう見せていくかという自己プロデュースの問題であり、メディアとどう付き合うかというメディア・リテラシーの問題である。

 聞かれたことは何でも答えるのではなく、何にどう答えるかを自分自身で考えて取材対応する。
 そうしたガバナンスを選手自身が発揮する。

 大谷の結婚をめぐる報道で見えてきたのは、選手たちに求められる新しい時代の取材対応だ。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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