■制球抜群の右腕 近鉄、オリックス、巨人で活躍した香月良太
――2016年に現役を引退されます。引退が頭によぎったとき、最初にどんな気持ちがありましたか?
「野球しかしてこなかったので、次に何をしようっていう気持ちはもちろんないですよね。何ができるだろうとか、そこまでも実は考えていなかったんですよ。野球以外はやってきていないので、まあやってみようかな、ぐらいのところからのスタートでしたね」
――酒類の仕事に携わるきっかけは何でしたか?
「もともと知り合いだった社長さんがいて、たまたまのご縁でしたね。難しく考えずに、まずそこでちょっと頑張ってみようと思ってスタートしました」
――プロ野球選手から一般の社会人へ。実際に動き始めてみて、一番大変だったのはどんなことでしたか?
「やっぱり収入のギャップですよね。プロ野球選手の頃よりはもちろんもらえないし、そんなにすぐ給料が上がるわけでもないので。そこが一番しんどいところで、たぶんやめた人みんなが感じることだと思います」
――そのギャップとはどうやって折り合いをつけていったんですか?
「これっていう瞬間があったわけじゃなくて、もう慣れていく感じですよね。10年以上経ちますし、時間とともにそういうものだと感覚が変わっていった気がします」
■「寡黙」と見られていた理由は、質問の仕方にあった
――現役時代は「寡黙」という印象を持たれることが多かったと思います。引退後に営業や指導の仕事を経て、今日こうしてお話を聞いていると、その印象とずいぶん違うなと感じています。ご自身では、何か意識して変えたのでしょうか?
「そんなに変えてはいないんですよ。もちろん営業職をやっていた影響もあるし、スクールで生徒にわかりやすく伝えなきゃいけない場面が増えたので、そこで慣れてきたのかなとは思いますけど。根本的には変えていないですね」
――当時「寡黙」に見えた要因は、どこにあったと思いますか?
「質問の仕方もあったんじゃないですかね。高校生に対して、答えを想定した聞き方をしてくるし、野球のことをよく知らないまま聞いてくることも多かったと思いますよ。はいかいいえで答えられるような質問ばかりされると、どうしてもそう答えるしかないじゃないですか。そのイメージが積み重なったんだと思います」
――では、もともとそんなに口数が少ないわけではなかったということですか?
「どうなんですかね、高校のころまではあまり覚えていないですけど(笑)。ただ、仕事を通じて自然と話すことへの慣れが出てきたのは確かで、昔よりはしゃべるようになったとはよく言われます」
○取材後記
香月良太が甲子園の舞台で存在感を示したのは、福岡・柳川高校のエースとして春夏連続ベスト8に進んだ2000年と2001年のことだ。当時から際立っていたのはコントロールの精度で、特に3年春の大会では智弁和歌山との試合を1対0で戦い抜いたことが語り継がれている。強打で知られる強豪校を相手に、自らの球威ではなくコースとタイミングの精密さで抑え込む投球スタイルは、高校球界の関係者の間で「あの柳川のエース」として記憶に刻まれた。
本人はこの日のインタビューで、コントロールの源泉について「毎日、親父とシャドーとキャッチボールをやっていた、それしかない」と淡々と語った。華やかな表現を好まない話し方ではあるが、その言葉の奥に、どんな相手でもストライクゾーンに投げ込み続けるという長年の反復が積み重なっていることは想像に難くない。東芝での社会人時代を経てプロへ、という道筋も含め、香月良太というピッチャーの輪郭は、派手さとは無縁のところで静かに形づくられてきた。

香月良太(かつき・りょうた)
1982年7月27日生まれ、福岡県出身。柳川高校でエースとして春夏連続甲子園ベスト8。東芝を経て2004年に近鉄バファローズへ自由枠入団。球団合併に伴いオリックス・バファローズへ移籍し、中継ぎ投手として活躍。2013年に読売ジャイアンツへトレード移籍。通算371試合登板、2016年現役引退。引退後は知人の縁で酒類営業に携わり、現在は個人事業主として東京で野球スクールを週3回指導。佐賀アジアドリームズで投手コーチを務める。

