【令和の断面】vol.114「野球伝来150年に寄せて」

令和の断面


「野球伝来150年に寄せて」

 佐々木朗希投手(千葉ロッテマリーンズ)の快投で盛り上がるプロ野球だが、
大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)が海を渡って寂しくなったかと思ったら、同じ東北出身のスター投手が現れる。佐々木もいずれはメジャーで投げるであろう逸材だが、野球界には必ずその時代を象徴する選手が登場する。これがどういうメカニズムなのかはわからないが、スポーツの世界は、誰かが去れば、必ず誰かが現れるのだ。

 そうやって繰り返されてきた日本野球の歴史も、今年でちょうど150年になる。

 その始まりには諸説あるが、1872年(明治5年)に第一番中学(現・東京大学)の外国人教師ホーレス・ウィルソン(アメリカ人)が、英語や数学を担当するかたわら生徒たちに野球を教えたという正岡子規の記述を基に、これを「日本野球の始まり」と位置付けている。
 今年は野球伝来150年を記念して、プロ野球だけでなくアマチュア野球を含め様々な記念事業が用意されているので、野球ファンにとっては賑やかで楽しいシーズンになることだろう。

 150年前ということでは、先日、たまたまいろいろな資料を見ている中で思わぬ偶然を発見した。

 それは福澤諭吉の「学問のすゝめ」を読んでいる時だった。
 福澤について多くの説明はいらないだろうが、慶應義塾の創始者であり、日本の近代化を進めた人物である。
 「学問のすゝめ」と言えば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」が有名だが、この本が出版されたのが同じく1872年だったのだ。
 野球と一緒に平等の精神や西洋的な合理主義を薦める本が出版されたのは、単なる偶然ではなく、これもまた時代が求めた必然だったのだろう。

 「学問のすゝめ」の中に次のような一節もある。それは子どもたちの教育について触れた内容だが、福澤はこう言っているのだ。

 「まず獣身を成して而して後に人心を養う」

 これもかなり有名な言葉だが、スマホやゲームに多くの時間を割く現代の子どもたちには、改めて考えさせられる指摘だ。いや、子どもだけではない。コロナ禍で人と人との接触が減り、在宅勤務が象徴するように室内にこもりがちな日常が続く大人にとっても重要なライフスタイル言えるだろう。

 それを文字通りに解釈すれば「まず身体を鍛えて、それから後に学問や教養を養う」と言っているが、その根底にある価値観は、私たちにとってまずもって健康や体力が大事だということだ。
 これは私たちが生き物である以上、150年前も、そして今も、健康の重要性は変わらないことだと言えるだろう。

 話がすいぶん堅苦しい感じになってしまったが、言いたいことは実に簡単なことだ。
 大人も子どももコロナに負けず、スポーツ的な日常を取り戻そう!

 それが野球伝来150年のもっとも大事なメッセージなのだ。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
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