令和の断面

vol.301 GWになると思い出す

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     GW(ゴールデン・ウィーク)が来ると思い出すことがある。
     もう40年前のことだ。
    
     1985年にドラフト外でヤクルトに入団した私は、27歳。年齢的には遅いプロ入りである。慶應義塾大学から東芝に入社し、社会人野球を4年間やった。
     1年目の都市対抗で準優勝。3年目には、クリーンナップを打って優勝メンバーの一員となった。4年目は、前年に優勝しているので予選免除の推薦出場。東芝4年間で4度都市対抗に出場した。準優勝1回、優勝1回。
     社会人野球の選手としては、これ以上ないほどの経験をさせてもらい、「野球は十分にやり切った」と思った。
     これを区切りに引退して、後は社業に励もうと決断した。
    
     会社に野球をやめることを伝えて、仕事に専念することにした。
    
     と、ここまでは良かったのだが、いざ野球をやめることになったら寂しくて仕方がないのだ。
     小学校低学年の頃から野球に親しみ、少年野球チームに入ったのは4年生の時だった。以来、中学、高校、大学、社会人と野球を続け、都市対抗でも優勝。言うことのない野球人生を送ってきた。ただ、野球をやめることになったら、まだ残るステージがあることが気になってしまったのだ。
    
     そう「プロ野球」である。
    
     ここまで野球をやってきたら、やっぱりプロ野球に行かなければ気が済まない。
     そんな思いを払拭することができなくなってしまったのだ。
     そこであの手、この手でプロ野球関係者にアピールして、何とかドラフト外でヤクルトさんに獲ってもらうことが叶ったのだ。
    
     始まったルーキーシーズンは、2軍スタート。社会人野球を4年もやってきた身にとって、時間はない。早く活躍して1軍に定着しなければ、若い選手にその座を奪われてしまう。その頃、一緒にレギュラー争いをしていたのが、今スワローズの監督を務めている「ブンブン丸」こと池山隆寛選手だ。
    
     1軍に呼ばれたのは、GW。
    
     初打席は、5月11日(@神宮球場)の阪神戦だった。
     代打での出場。
     マウンド上は技巧派の工藤投手だった。
    
     真ん中低めのフォークボール。
     ストレートのタイミングで待っていたのに、なぜかフォークにタイミングがピッタリだった(笑)。打球はどんどん伸びてセンターバックスクリーンに飛び込んだ。プロ野球史上20人目の初打席初ホームランだった。
    
     しかし、この後は鳴かず飛ばずの成績で、プロ野球は5年間の選手生活。
    
     プロ野球に行かなかったら、どんな人生を送っていたのか。
     GWになるといつもそんなことを考える。
     ただ、やらないで後悔するより、やりたいことに挑戦する方を選んで、やっぱりよかったと思っている。
    
     みなさんは、どうですか?
    
     
    

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