HERO'S COME BACK~あのヒーローは今~

香月良仁#2
会社を立ち上げたらコロナが来た。日雇いバイトもしながら構想を練り続けた

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    引退後、熊本ゴールデンラークスに戻りスポーツ事業を学んだ香月氏は、36歳頃に株式会社を設立した。しかし直後にコロナ禍が直撃。スポーツ事業が全面ストップするなか、マスク・消毒液の仕入れ販売で凌ぎ、日雇いバイトも経験しながら構想を練り続けた。第2回は、引退後のセカンドキャリアの実像と、現在の投手専門アカデミー事業の成り立ちを語ってもらった。(取材日・2026年4月24日)
     

    ■引退後は熊本ゴールデンラークスでスポーツ事業を学び、3年後に独立

    ――引退後、熊本ゴールデンラークスに戻られるわけですよね。その流れはどういったものでしたか?

    「特に深く考えてなくて、当時の会長に相談した時に、スポーツ事業もやってたんですね。そういう事業の方も勉強したいなっていうのがあったので、戻ってこいって言ってくれたので入って。いろいろ勉強させてもらいながら3年間いて、自分でちょっとやりたいなと思って独立した感じですね」

    ――独立が36歳頃ということは、会社設立はコロナ禍にぶつかりましたか?

    「会社設立したらコロナが来ました。スポーツは全部止まりましたね。やばいと思って。野球の個人指導とかパーソナルとかやってたんですけど、全部止まったので」

    ――その時にどう乗り越えたんですか?

    「野球の繋がりがあったのでやっぱりマスクとか消毒液とかが足りなかったじゃないですか。それを仕入れて地元の企業とかに売りました。最初それで結構売り上げてましたね。で、その中でスポーツの事業をコロナが落ち着くまでずっと考えてて。日雇いのバイトなんかもやりながら、でも今考えれば、死にはしないなっていう経験になりましたね」

    ――ご家族もいる中でそれだけ思い切った判断ができた背景は何でしたか?

    「嫁にはもう会社やめるって言ってやめてきました。金がなかったら日雇いでも働くからってで、まず会社を作ってみて、俺に何ができるんだろうって考えて始めましたね。貯金もある程度はあったんですけど、そんなに多くはなかったです」

    ■「地方には競合がいない」と気づいて、投手専門アカデミーを8拠点に

    ――コロナ禍の間に考え続けた構想が、現在の投手専門アカデミーになるわけですね。どんな発想から始まったんですか?

    「広く浅くの野球教室じゃなくて、深く狭く、プロ野球選手が教えるっていう専門性の高い指導をやろうと。単価も上げて。地方に競合がいないなっていうのも感じましたね。実績のある選手は東京や大阪に残るじゃないですか。でも地方に残って実績があって、元ピッチャーでっていうのはもういないなと思って。あとは地域の総合型スポーツクラブと連携して固定費を抑えてるので、最初からマイナスが出にくい形にしましたね」

    ――現在はどのくらいの規模ですか?

    「今8拠点ですね。熊本に2つと、佐賀、宮崎、日向、熊本の玉名にあります」

    ――アカデミー以外にも事業を展開されているとのことですが?

    「イベント業を始めたりとか、建設業を始めたりとかしています。野球だけで生計を立てるっていうのはあんまり考えてなくて、今できるからこそ他の準備もしとかないといけないなっていうのがあったんで。ドリームズの監督業と並行してアカデミーは夕方からやってるので、日中はドリームズのことをやりながら、夕方からアカデミーをやって、夜11時頃に家に帰るみたいな感じです」

    ――野球をやるつもりはなかったとおっしゃっていましたが、今また野球に関わっていますね。

    「そうなんです。野球のことをするつもりはなかったんですけど、今また野球に関わってるって感じですよね。マネタイズするのにやっぱり野球が一番早かったので。それが今できるからこそ次の準備ができるっていうのはありますね」

     
     
    (第3回に続く)

    香月良仁(かつき・りょうじ)

    1984年生まれ、福岡県久留米市出身。日本経済大学(旧・第一経済大学)を経て、熊本ゴールデンラークスからロッテマリーンズにドラフト6位で入団。2016年に現役引退。引退後は熊本ゴールデンラークスに戻り、スポーツ事業などを約3年学んだのち独立。36歳頃に株式会社を設立し、九州各地で投手専門アカデミーを8拠点展開する傍ら、イベント業・建設業なども手がける。2023年から九州アジアリーグの独立球団・佐賀アジアドリームズ監督を務める。

     

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