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Vol.53
甲子園のベンチにいる、4人の「元プロ野球選手」監督

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    (写真はイメージ)

    ■智弁和歌山・中谷監督、東海大甲府・村中監督ら

     第108回全国高校野球選手権大会のベンチに、今年は4人の“元プロ監督”が座っている。2022年と並ぶ過去最多だ。

     智弁和歌山の中谷仁監督は阪神、楽天、巨人でプレーした捕手。東海大甲府(山梨)の仲澤広基監督は巨人、楽天、佐野日大(栃木)の麦倉洋一監督は阪神でユニホームを着た。この3人がNPB出身で、八王子実践(西東京)の河本ロバート監督は米大リーグ・ドジャース傘下のマイナーや独立リーグ、台湾でプレーした。

     NPBを経た3人に、海を渡ってプレーした1人。高校野球の指導者に至る道筋は1本ではない。

     ただ、その道が広く開かれていたわけではない。戦後の学生野球憲章の下では、プロと学生がグラウンドで対戦するなど交流すること自体が長く許されていなかった。制度として指導が認められた後も、教員としての勤務歴10年以上という条件が課された。現役を退いて10年たってようやく教えられる。志があっても踏み出せなかった人は多かったはずだ。

     流れが変わったのが2013年だった。学生野球資格制度が創設され、資格回復のための研修会を受講すれば、元プロが学生をはじめとするアマチュアを指導できる道が開かれた。教員歴の条件も取り払われた。これを契機に、全国で「元プロ」の指導者を迎え入れる高校が増え、同一大会に複数人が名を連ねるケースも珍しくなくなってきている。今年の4人は、その10年余りの積み重ねの結果だ。

     今大会に出場していない学校にも、NPB経験者の監督は各地にいる。東海大相模・原俊介(元巨人)、常総学院・島田直也(元日本ハムなど)、東海大菅生・若林弘泰(元中日)、天理・中村良二(元近鉄など)、興国・喜多隆志(元ロッテ)らがいる。

     この顔ぶれに共通点がある。プロで一軍の主力として長く活躍した人は多くない。原監督は1995年のドラフト1位で巨人に入団しながら、一軍初出場は8年目の2003年だった。中谷監督も夏の甲子園を制した捕手としてドラフト1位で阪神に入ったが、一軍で定位置をつかむには至らなかった。喜多監督は慶大からドラフト1位でロッテに進んだ。

     アマチュア時代に脚光を浴び、プロで思うようにいかなかった。この経歴が高校生を教えるうえで弱点になるとは限らない。むしろ逆だと思う。順調に成功し続けた人ほど、うまくいかない選手の内側は想像しにくい。プロの入り口で壁にぶつかった経験は、そのまま伸び悩む高校生への言葉になる。

     高校の指導者に求められるのは、勝たせる技術だけではない。10代の3年間をどう過ごさせるか、野球をやめた後に何が残るか。プロで挫折を味わった人は、野球が人生のすべてではないことを身をもって知っている。それを17、18歳に伝えられる立場にいる。

     とはいえ、甲子園での優勝となると、1980年代に池田(徳島)を率いた蔦文也氏(元東映)以来、長く途絶えていた。それを破ったのが、2021年の中谷監督率いる智弁和歌山だった。

     中谷監督は、捕手として数えきれないほどの球を受けてきた経験を、そのまま言葉に変えている。藤川球児、田中将大——実際に受けてきた投手を例えに出しながら、選手たちに伝えていく。一流の投手がどんな球を投げていたかを、映像や伝聞ではなく身体の記憶として持っている人は多くない。ミットに残った感覚が、そのまま高校生への教材になっている。

     智弁和歌山から大学に進んだ後、そこでさらに花開くケースも多い。2021年の優勝メンバーだった中西聖輝投手は青学大でエースとなり、2025年のドラフトで中日から1位指名を受けた。今年も大学に多くのドラフト候補がいるという。ただ、中谷監督が嬉しく感じていることは、野球を続けていることもそうだが、彼らがキャプテンを任されているケースが多い、という部分だった。

     高校の3年間で預かった選手が、次の場所で人をまとめる側に回っている。技術は伸ばせても、人に任される存在になるかどうかまでは指導しきれない。

     最後は人間をつくること——。多くの選手を見てきた人が口にすると、この一言の重みは違う。

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