【令和の断面】vol.124「この夏、最高のゲーム」

令和の断面


「この夏、最高のゲーム」

 それはスポーツがくれる宝物がぎっしりと詰まった試合だった。
 9月の日曜日の夕方、両校のナインは試合前のシートノックを一緒になって受けた。
 7回までの試合。
 日本中、どこででも行われている高校野球の当たり前の練習試合だ。
 しかし、この試合に臨む選手たちは、それぞれがさまざまな思いを抱いて高校生活最後の試合をプレーしていた。

 この夏の奈良県大会決勝。
 天理高校対生駒高校。
 熱戦が期待されたが、生駒高校を新型コロナウイルスが襲った。
 ベンチ入りメンバー20人中、12人を入れ替えて試合に臨まなければならなかった。初めてベンチ入りした選手が11人だった。
 結果は21対0と生駒高校の完敗。

 しかし、この時天理高校は9回2アウトでマウンドに集まり、戸井零士主将が「試合後に喜ぶのはやめておこう」と提案したという。
 天理ナインは、試合後すぐさま整列して、コロナ禍に苦しんだ相手に敬意を払ったのだ。

 天理高校の中村良二監督も動いた。
 試合に出られなかった生駒高校の3年生に配慮し、練習試合を提案して、この日の再戦が実現した。

 試合は接戦に…。
 3対2と天理高校が1点リード。
 この時も天理高校は、7回2アウトからマウンドに集まる。
 ここで主将だった戸井零士内野手がみんなに提案する。
 今度は「全員で思いきり喜ぼう」

 最後の打者がセンターフライに倒れると、天理高校の選手たちは夏の決勝で封印していた歓喜のポーズに酔いしれて、高々と人差し指を天に掲げた。
 そして、その輪の中に生駒高校の選手たちも飛び込んで、一緒になってその瞬間を喜んだ。

 試合後は両校で記念撮影。
 生駒高校の北野定雄監督は「天理高校に、感謝しかありません。最高の試合になりました」と語り、主将だった熊田颯馬外野手は「天理のみんなの今後の野球人生を、ぼくは応援していきたいなと思います」と野球を辞めても天理ナインを忘れないと感謝のエールを送った。

 この試合をどう語っても、その美しさに言葉は勝てない。
 おそらくこの夏、最高のゲームと言えるだろう。
 スポーツが教えてくれる「インテグリティー」とは、まさにこうしたことだ。

 私に言えることは、ただひとつ、これだけだ。
 彼らは、見事に新型コロナウイルスに勝ったのだ。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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