「マー君」こと巨人の田中将大投手(36歳)が21日のヤクルト戦で勝ち投手となって日米通算199勝目をあげた。
この日は、ストレートが冴えアウトコース低めの速球を柱にピッチングを組み立て、5回(81球)、被安打3(本塁打1)、1失点で4月3日以来の2勝目を飾った。
4月に1勝目をあげたのは良かったが、その後はなかなか調子が上がらず、5月1日の広島戦を最後にほぼ3か月、2軍で調整を続けていた。
2021年に日本球界に復帰。
古巣の楽天で1年目に4勝、2年目に9勝、3年目に7勝をあげていたが、24年は、登板は1回だけで1勝もあげられなかった。この時点で日米通算197勝。もしかしたら200勝の金字塔を前に引退に追い込まれるのではないかと心配でならなかった。
そこで田中投手が選んだ道は、登板の機会を求めて巨人に移籍することだった。
しかし、その巨人に来ても開幕当初の1勝だけで、あとは2軍暮らし。
彼のプライドが自身の境遇(現状)を許せなくなったら200勝を目前にしても、引退があるのではないか……と懸念していたのだ。
それは大投手ゆえの心配だ。
私がヤクルトに入団した1985年、スワローズには松岡弘さんという素晴らしい投手がいた。入団当初、松岡さんとキャッチボールした時のことは今でも忘れない。20メートルほどの距離で軽く投げてくるボールが怖くてうまく捕れないのだ。
ボールの伸びが尋常じゃない。
これがプロのボールかと思い知らされるキャッチボールだった。
松岡さんは、この前年までに191勝をあげていたが、85年に8登板(4先発)で1勝もあげられず、この年を最後に引退してしまった。
現役時代には沢村賞(78年)や最優秀防御率(80年)のタイトルも獲得したヤクルト史上最強の右腕だが、84年も1勝5敗に終わり、85年は0勝。最後は自身のプライドが許せなかったのではないかと思う。
引退時、松岡さんは38歳。あと9勝で200勝だった。
あのキャッチボールの勢いを思うと、私にはまだまだ投げられたはずだと思えてならないのだ。
今から40年前の話。
引退に対する考え方や球団のベテラン選手に対する対応など、マー君と松岡さんを比べることはできないが、松岡さんはまだまだ投げられたはずだと思う一方で、マー君にはどんなに悔しくても諦めずに投げ続けて欲しいと思ってしまうのだ。
田中投手は、あと1勝で200勝。
しかし、プロ野球の世界は何があるか分からない。
200勝するまで油断は禁物だ。
次は、この原稿がアップされる8月28日(木曜日)に登板予定だ。
199勝をあげたマー君はこう言っている。
「勝ちへの思いが強くなったからといって、勝てるわけじゃないし。できることを一つ一つやっていこう。自分の状態を理解して前に進んでいこう。もうそこだけ」
まったくその通りだ。
勝てる時に勝たなければ、なかなか勝たせてもらえない。
それがプロの掟。
松岡さんからの教訓だ。
マー君、とにかく早く勝って楽になれ!
令和の断面
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。