2005年夏のことだ。
ある野球関係者から「新しい社会人野球チームが監督を探している」との相談があった。その会社はエンターテイメント企業大手の「セガサミーHD」だった。
会社のプロモーションはもちろん、ゲームのセガとパチンコ・パチスロのサミーが、野球チームを通じて一体感を醸成したいとのことだった。
社会人野球のチームが減少する中、新しいチームの創設は社会人野球界にとっても、野球界にとっても極めて明るいニュースだ。
しかも監督のお話まで……。
当時はテレビやラジオの番組、原稿の連載なども抱えている身だったが、会社側と相談の結果、そうしたことも継続しながらの監督で構わないと、寛容な判断をいただきお引き受けすることにした。
セガサミー野球部は、後に素晴らしい専用球場と合宿所を建設することになるが、その時にはまだ野球関係の施設は何もない状態だった。
それでも真新しいチームの誕生に、セガサミーで野球を続けたいという高校&大学の選手たち集まり、1年目から注目を集めるチームとして船出した。
グラウンドがないので千葉県内の公営球場を借り、選手たちはマンションの部屋をシェアして共同生活を送った。
食事も近所の食堂と契約して、朝食と夕食を作ってもらった。
伝統のある企業チームと比べれば、環境的に整っていないと言えるかもしれないが、自分たちが一期生として歴史を作っていくのだと思うと、選手たちのモチベーションは常に高く、希望に満ちていた。
1年目での都市対抗出場は逃したが、2年目には東京都予選を勝ち上がり、東京ドーム(都市対抗)で試合をすることができた。
そして私は、この年で監督を退任(2年間)したが、セガサミーはその後どんどん強くなり、05年の創部以来、都市対抗出場14回、日本選手権出場6回の強豪チームへと成長していった。
しかし、どんなチームにも寿命はある。
先週、セガサミー野球部の今シーズン限りの廃部が発表された。
セガサミーHDのホームページには次のようなコメントが載った。
「当社グループを取り巻く経営環境は近年大きく変化しており、チームの近年の状況なども踏まえて検討を重ねた結果、活動終了という判断に至りました」
突然の廃部は残念でならないが、これは企業チームの宿命だ。
私を含め、セガサミーで野球をやらせてもらった人は、みんな会社に感謝していることだろう。
私はずっと思っている。
「社会人野球は、日本が世界に誇る野球のステージだ」と。
アメリカのようにマイナーリーグが整備されていない分、社会人野球が選手を育て、彼らに活躍の場を用意してきた。おかげで高校や大学からプロ野球に入れなかった人たちも社会人野球を経由してプロ野球に進むことができる。筆者もその一人である。
企業チームの存続が、社業の業績に左右されるのは仕方がない。そのかわり近年はクラブチーム(一社だけに依存しない)の形態が増えている。企業チームを守るためには、社会貢献の見返りに税制面での優遇なども考えるべきかもしれない。
これから日本の野球をどう守り、どう育てていくのか。
この機に、野球界が一体となって考えなければならないテーマである。
お世話になったセガサミーには、感謝しかない。
令和の断面
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
