【令和の断面】vol.95「照ノ富士の横綱相撲には意味がある」

令和の断面


「照ノ富士の横綱相撲には意味がある」

 11月最後の週末は、日本シリーズでヤクルトが日本一になったり、女子プロゴルフで稲見萌寧選手の賞金女王が決まったり、競馬のジャパンカップでコントレールが有終の美を飾ったり、スポーツ界は話題にこと欠かなかった。

 そんな中で、どちらかと言えばメディアの扱いが小さかった気もするが、私の中で「おめでとう」と心から賛辞を贈りたい優勝があった。
 大相撲九州場所、横綱・照ノ富士の2場所連続・6度目の優勝である。

 この優勝は、新横綱からの連覇であり、大鵬以来59年ぶり、2人目の快挙となった。
 それにしても連日圧巻の相撲だった。
 いつでも相手を真っ向から受け止めて、横綱の強さを見せつける。
 14日目に阿炎に勝って早々と優勝を決めたが、千秋楽でも気を緩めることなく大関・貴景勝を真っ向から受け止めて盤石の相撲で自身初の全勝優勝を飾った。

 照ノ富士が大きなブランクを乗り越えて帰ってきたことは、大相撲ファンなら誰もが知っていることだ。大関になった照ノ富士は、そこから地獄を見る。ケガと病気の連続。両足の膝を手術し、C型肝炎を患い、糖尿病にも苦しんだ。結局、序二段まで落ちた。引退を本気で考えたという。復活を果たした今でも、右膝の十字靱帯と左膝の半月板はない。土俵に上がる時は、入念なテーピングを施して相撲を取っている。

 そんな照ノ富士だから、毎場所、膝の状態と取り口がいつも気になっていたが、今場所は不安を感じるどころか、どんな相手でもまっすぐに受けて立つ横綱相撲が冴えわたっていた。

 14日目に優勝を決めて照ノ富士は言った。

 「体のことを考えても、いろいろなことをできる体ではない。1日一番の気持ちで、全部受けて立つという気持ちでやっていました」

 千秋楽の優勝インタビューでも、こんなことを言っている。

 「自分はそんなに才能がある力士じゃない。いろいろなことができる力士でもない。でかい体を正面にぶつけて受け止めてやっていくだけだった」

 192センチ、184キロの体を生かして真っ向から受けて立つ。謙虚な発言に横綱の人柄もうかがえるが、その取り口(横綱相撲)の本当の意味を語ったのは、全勝優勝を決めたその夜に出演したスポーツ番組だった。

 「まっすぐ相手に向かっていくことで膝への負担を軽くすることができるんです」

 痛めた膝は、横への動きや瞬間的な変化に不安がある。膝も十分に曲げることができない。その痛みもまだ残る。そうした膝で取れる相撲は、力を横に逃がさない相撲。順な動きで相手に圧力をかける。それが一番安心で安全な動きだから…と言うのだ。

 まさに「災い転じて福となす」である。
 自分の弱点を強みに代える。
 余計な取り口を考えることがなくなり、迷いや不安が消える部分もあるのだろう。

 どうやったら膝に負担がかからないか。
 どんな相撲が今の自分に求められているのか。
 そこを突き詰めた時、決して変化することなくまっすぐに出ていく横綱相撲が突き当たる。

 大きなケガを経て、見出した自分のスタイル。
 それが迷いのない横綱相撲を生み出す。

 ピンチをチャンスに変える。
 堂々とした照ノ富士の取り口が、さらに好きになる九州場所だった。

青島 健太 Aoshima Kenta

昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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