令和の断面

vol.315 都市対抗を観に行こう

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     社会人野球の夏の祭典が始まる。
     第97回都市対抗野球大会(8月26日~9月6日までの12日間・東京ドーム)は、出場する32代表の組み合わせも決まっている。8月26日の開幕試合は、前回大会優勝で推薦出場(予選免除)の春日井市・王子と札幌市・JR北海道クラブが対戦す
     私の古巣、川崎市・東芝は28日に大阪市・日本生命と激突する。
     東芝は、2年連続46回目、対する日本生命は4年連続65回目の出場となる。
    
     都市対抗ファンにはお馴染みのことだが、都市対抗では企業名の前に都市名が掲げられている。これが都市対抗と言われる所以だが、その歴史は古く昭和2年、1927年に始まっている。
     アメリカの大リーグでは、今でも都市名でチームが呼ばれる。
     大谷翔平選手がいるドジャースは「ロサンゼルス」
     村上宗隆が所属するのは「シカゴ」
     ヤンキースはもちろん「ニューヨーク」だ。
    
     アメリカでは、ほとんどのスポーツが都市名で戦っている。
     NBAのプロバスケットボールもNHLのアイスホッケーも、NFLのアメリカンフットボールもチーム名は持ちながらも基本的には都市対都市の対戦だ。
     それはスポーツのチームが、その地域の代表であり誇りだからだ。
    
     こうしたアメリカの慣習(スポーツチームの在り方)を見てきた先人が、アメリカに倣い都市対都市の野球大会を始めようとして企画されたのが、都市対抗野球大会の源流である。
     都市対抗には、他の大会には見られない独特のルールがある。それは予選で敗退したチームから、「補強選手」という形で何人かの選手を借りることができるのだ。この合同チームのようなメンバー編成もその都市(地域)を代表して本大会に出ていくという都市対抗ならではの伝統なのだ。
    
     私は4年間(1981~84年)東芝に在籍し、4年連続で都市対抗に出場したのはもちろん、1年目に準優勝、3年目に優勝を経験している。
     これは私の野球人生において誇るべき成績であり、最も楽しい時期だった。
     1年目(1981年)の準優勝のご褒美は、ハワイ遠征。
     3年目(1983年)に優勝した時には、オーストラリア遠征だった。
     西海岸のパースからブリスベンまでオーストラリアを横断し、おまけにフィジーとハワイに渡って帰ってきた。優勝記念で会社からいただいたセイコーの腕時計は、今も大切に使っている。
    
     社会人野球(都市対抗)には、独特の魅力がある。
     プロ野球を目指す若手は、注目を浴びて活気をもたらす。
     長く活躍を続けるベテランたちは、最後のキャリアを完全燃焼させる。
     多くの社員を有する出場企業は、応援を通じて社内の融和を図り、一体感を醸成する。そしてその熱気が都市や街の盛り上がりにつながっていく。
     各チームの応援もコンテストになっているので、初めて観に来た人でも誰でも楽しめる。
    
     甲子園が高校球児の憧れならば、都市対抗は社会人のプライドだ。
     地域色たっぷりの応援を含めて、洗練された伝統がそこにある。
    
     この野球も、大事な日本の文化だ。
     
    

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