■プロになれるとは1ミリも思っていなかった
――プロ野球選手を目指したきっかけは何でしたか?
「正直、プロ野球選手になれるとは1ミリも思ってなかったですね。大学が今の日本経済大学で、当時は第一経済大学っていう福岡六大学野球に入っている弱いチームだったんですよ。大学は自由でしたので、自分でメニューを組んで、解剖学を見てフォームを作って、パフォーマンスが上がったんですね。でもそれでもプロに行けるとは全く思ってなかった。そこにたまたま熊本の社会人から声があって行って、社会人でさらにパフォーマンスが上がって、プロにかかるかもしれないって思ったのはもうその1年ぐらいじゃないですか。ドラフト6位(2008年)ですし、9割ぐらいは運だと思います」
――社会人経験を経てプロに入ったとき、どんな感覚がありましたか?
「最初に入った時、異様な世界だなってすごい思いましたね。お金の使い方とかも含めて。現役の時に欲しかった車があって、プロに入ってそれを買ったんですよ。でもなんかある日、馬鹿らしいなと思って。確かロッテで初めてプリウスに買い替えたんですよ。終わった後にお金を貯めて自分でやりたいことを事業したいなって思ったので、よく夢のあるスポーツだからとか、お金の使い方でケチるなよとか言われるんですけど、ただそれはケチじゃなくてどこに使うかだけの問題なので。でも裏を返せば、そういうふうに考えていたからこそ飛び抜けれなかったのかなっていうのも感じます。生き方の問題だとも思いますけど」
■「出稼ぎ」の感覚でプロに入り、野球がお腹いっぱいになって引退した
――現役時代、将来のことをどのようにイメージしていましたか?
「将来的に九州に帰ってくるっていうのは分かってたので、もう出稼ぎに行ってる感覚だったんですよ、ずっと。現役の時はアンテナをずっと張ってて、選手ともちろんご飯は行ってたんですけど、それよりも経営者の方とか社会人の方と、遠征とか行った時にご飯を食べに行ってそういう話を聞くのが好きでしたね。本を読んだりするのも好きで」
――経営への興味はいつ頃からあったんですか?
「社会人の時にスーパーで働いてたんですね。コロッケを1個30円でやってたら1日800個ぐらい売れるんですけど、32円にしたら売上が下がったりするんですよ。2円の違いで。そういうのを経験した時に、物を売るとか経営って面白そうだなってすごく思いましたね」
――2016年に現役を引退されます。その時の気持ちはどうでしたか?
「もう野球はお腹いっぱいやったなって感じでしたね。だからトライアウトも受けてないんですよ。声がかかるなら来るだろうと、かからなかったらもう野球はいいかなって感じだったので。あんまり野球に対しての未練もなくて、他の新しい世界を見てみたいなっていうのはありましたね」

香月良仁(かつき・りょうじ)
1984年生まれ、福岡県久留米市出身。日本経済大学(旧・第一経済大学)を経て、熊本ゴールデンラークスからロッテマリーンズにドラフト6位で入団。2016年に現役引退。引退後は熊本ゴールデンラークスに戻り、スポーツ事業などを約3年学んだのち独立。36歳頃に株式会社を設立し、九州各地で投手専門アカデミーを8拠点展開する傍ら、イベント業・建設業なども手がける。2023年から九州アジアリーグの独立球団・佐賀アジアドリームズ監督を務める。



