■甲子園出場の原点は「毎日の親父とのシャドーとキャッチボール」
――香月さんといえばコントロールの良さが現役時代の持ち味でした。天性のものですか、それとも積み重ねてきたものですか?
「弟は自分のことを天才と言ってくれるんですけど(笑)、毎日、親父と一緒に帰りの車でシャドーピッチングをやらされて、公園でキャッチボールをしていましたね。自分は小学校のころからコントロールはよかったんですけど、それしかないと思いますよ、正直。指先の感覚は、だんだんやりながら慣れていくもので、最初のころはばらついたりもしながら、徐々に身についていった感じですかね」
――毎日の反復が、プロになってからも生きたわけですね。
「そうだと思います。コントロールって今からやってすぐよくなるものじゃないですから。だからアジアドリームズの選手たちにも、毎日少しでも触り続けることが大事だよと言い続けているんですよね。親父に毎日やらされたことが、今の自分の指導につながっている気はします」
■父の逝去が、弟を変えた
――弟・良仁さんは、お兄さんのことを「天才」と表現しています。幼少期から見てきたお兄さんとして、弟さんはどんな選手でしたか?
「大学に入って、親父が亡くなってから変わった印象ですよね。大学のとき、途中で辞めるって言っていたくらいだったんですけど、結局社会人に行ってから良くなっていったので、そこからやる気になったんじゃないかな」
――お父さんが亡くなったことが、弟さんにとって転機になったということですか?
「そういうことだと思います。それまでは親父が自分をメインで見ていたので、弟はどちらかというと後回しだったと思うんですよね。だから弟的には、自分でやらないといけないという気持ちになったんじゃないですかね」
――お父さんは弟さんについて何かおっしゃっていましたか?
「自分には直接は言っていなかったんですけど、母親には言っていたみたいで。弟がやればプロに行けるって、そう言っていたみたいですよ」
――弟さんはその言葉を知っていたんでしょうか。
「おかんが言ったみたいなので、たぶん聞いてはいると思いますけどね。どこかでその言葉が支えになっていたのかもしれないな、とは思います」
――今、お父さんが兄弟の姿を見たらどう思うと思いますか?
「びっくりするんじゃないですかね(笑)。ちっちゃいころはよく喧嘩していたので、自分と弟が今こうして一緒に野球をやっているのも、お父さんからすればびっくりする光景だと思いますよ」
――監督とコーチという関係の中で、弟さんに対して遠慮する場面はありますか?
「遠慮というか、自分はこう思うというのを伝えつつも、最後はお前が決めていいよという感じですね。最終的には監督なので、そこはちゃんと分かっています。弟も特にやりにくさはないと言っていますし、自分もないですよ」
――今後、兄弟で一緒に何かやっていきたいという気持ちはありますか?
「いつも言っているのは、いつか一緒に仕事できたらいいなっていうことですね。よくお酒を一緒に飲みながら話しているので。弟も同じことを言っていましたよね、きっと(笑)」
○取材後記
弟・良仁氏は取材の中で、幼少期の兄について「何をやっても器用にできて、発想も天才的だった。嫉妬する対象ではなく、最初から別物だと感じていた」と語った。柳川高校では先輩後輩の関係にありながら、学校でも家でもほとんど会話がなかったという。同じ投手でありながら、兄はコースを突く緻密さで、弟はストレートの力と回転で勝負するという正反対のタイプ。それぞれの道を歩んだ二人が、2016年という同じ年にプロを引退し、今また同じグラウンドに立っている。
良仁氏は「30歳を超えてから急に仲良くなって、今は友達みたいな感じ」と笑いながら話してくれた。お互いに友人が多いわけではなく、東京に出てきたときには一緒に飯を食いに行く間柄だという。口喧嘩もするが仲はいい、と。世間では「寡黙」と見られてきた兄と、弁舌さわやかに地域活動を語る弟。外から見ればいかにも対照的な二人だが、良仁氏が「最終的には兄と一緒に会社をやりたい」と語るとき、その言葉には長い年月をかけて育まれた信頼の重さがある。

香月良太(かつき・りょうた)
1982年7月27日生まれ、福岡県出身。柳川高校でエースとして春夏連続甲子園ベスト8。東芝を経て2004年に近鉄バファローズへ自由枠入団。球団合併に伴いオリックス・バファローズへ移籍し、中継ぎ投手として活躍。2013年に読売ジャイアンツへトレード移籍。通算371試合登板、2016年現役引退。引退後は知人の縁で酒類営業に携わり、現在は個人事業主として東京で野球スクールを週3回指導。佐賀アジアドリームズで投手コーチを務める。


