1983年、今から40年以上前のことである。
韓国ソウルで開催されたロサンゼルス五輪のアジア予選(野球)。
この時、私は社会人野球「東芝」の選手で日本代表の一員としてこの予選に参加していた。
会場の蚕室(チャムシル)スタジアムは、88年のソウル五輪に備えて新設された5万人を収容する巨大なスタジアムだった。
私は、最大の山場と言える韓国戦に三塁手として出場していた。
韓国の先発投手は、後に日本球界でも活躍する 宣銅烈(ソン・ドンヨル)。当時は高麗大学の学生で、その時から韓国史上最高の投手と謳われていた。
球場は、99%韓国ファンで埋め尽くされ、宣銅烈投手がストライクを取るたびにどよめくような歓声が鳴り響いた。一方、日本の選手がヒットを打っても球場は何事もなかったように静まり返っていた。
そんな中で緊迫する接戦が続いていたが、試合内容はほとんど覚えていない。
私が覚えているのは、いや絶対に忘れることができないのは、試合後半の大事な場面でサードゴロをトンネルして韓国に得点を許してしまったことだ。
強い当たりだったことは確かだが、真正面のゴロで普通にやればもちろん捕れるゴロだった。ところが身体がまったく動かない。自分では捕ったつもりだったが、グローブの下をボールが潜り抜けていった。
このエラーがきっかけで日本は大事な韓国戦を落としてしまう結果になってしまったのだ。
私の野球人生において最大で最悪のエラー。
今でも夢で見るほど悔やまれるプレーだ。
この夏、韓国に視察で一週間滞在した。
その時に一日自由になる日があったので、私にとって悪夢といえる蚕室スタジアムに行ってみることにした。
その日はちょうどプロ野球が開催されていた。
夕方、スタジアムに入ってまず私の視線が向かったのは三塁ベースのあたりだった。
「あの場所でトンネルした」
私は、正直、もっと激しい感情に襲われるかと思ったが、意外に冷静にその場所を見ていた。
それは不思議な感情だった。
懐かしいというか…
ジーンとくるというか…
結果はともかく40年以上前に、私がその球場でプレーしていたことを思うと、よく頑張っていたな…と、その頃の自分を愛おしく思ったのだ。
きっと時間が解決してくれたのだろう。
試合直後には、「もう日本に帰れない」というくらい落ち込んでいたが、再び訪れた蚕室スタジアムは、懐かしく、温かく迎えてくれた。
その時は、私は素直に思った。
野球をやってきて良かったな…と。
私は、野球のおかげでさまざまな場面を経験し、さまざまな人に出会い、さまざまなことを学んできたのだ。
令和の断面
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
