【令和の断面】vol.195「クリケットのまち昭島」

令和の断面

 東京都昭島市が「クリケットのまち昭島」として、英国生まれのクリケットを応援、支援しているのをご存じだろうか。
 その活動の10周年を記念して、昭島市役所で記念講演とパネルディスカッションが開かれた。
 記念講演では、競泳の五輪メダリスト寺川綾さんが登壇し自身の競技生活と五輪の魅力について熱く語り、パネルディスカッションでは不肖青島が進行役を務め、寺川さんを含め昭島市やクリケットに所縁の深い方々に「スポーツの価値と可能性」というテーマで意見を述べてもらった。

 パネラーで注目を集めたのは、昭島で育ち、昭島でクリケットに出会い、南アフリカで行われた19歳以下のW杯に日本代表として出場した市來宙(いちきそら)選手だ。
 こどもの頃は野球もやっていたが、「みんなが横並びでスタートするクリケットの方が代表選手になれるかも」と思い、その夢を見事に叶えた昭島っ子だ。

 夢が実現すると言えば、市來選手も「思いもしなかった」と言ったのが、28年ロサンゼルス五輪でのクリケットの採用だ。
 32年のブリスベン五輪もクリケットの盛んなオーストラリアで開催されるだけに2大会連続でクリケットが採用される可能性は極めて高い。
 市來選手も昭島のジュニアチームで育った一人だが、クリケットが五輪で行われるようになれば、この競技に興味を持つこどもたちもこれからもっともっと増えることだろう。

 あるスポーツが五輪で採用されることの意義と影響には、大きなものがあると思う。
 まずは、普及や振興が進むことになるだろう。
 こどものスポーツを応援する親御さんにもチカラが入る。
 行政や企業にとっても、より支援しやすい環境が得られることになる。
 まちや住民の理解が進めば、地域の活性化にもつながる。

 事実、クリケットを支援する体制が10年前から整った昭島では、クリケット用のグラウンドが整備され、そこを使うジュニアチームから多くの選手が排出された。その一人が日本代表にもなった市來選手である。

 こうしたクリケットを介した活動は、日本クリケット協会がある栃木県佐野市で早くから始まり、これに昭島市が続き、今では関西の貝塚市や宮城県の亘理町などでも始まっている。クリケットの五輪採用は、どこでも喜びのニュースとして受け入れられていることだろう。

 パネルディスカッションにパネラーとして参加した元昭島副市長の佐藤清さんは、「先見の明がありましたね」と誰よりもこの朗報を喜んだ。そして「このまちから市來選手のような人が出ることが本当にうれしいことなんです」と語った。

 それはクリケットを育て、守ってきたこのまちのすべての関係者が思っていることだろう。

 式典の最後に「クリケットのまち昭島」サポーターズクラブ中野益美会長に花束をもらったが、逆に中野会長に「おめでとうございます、そしてありがとうございます」と、そのままお渡ししたい気分だった。

 やっぱりスポーツには、大きなチカラと可能性がある。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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